開催レポート!【AJIRO MU “SUSHI “】網代の地魚を握りたてのお寿司で

9月21日(土)の夜に、第一回AJIRO MU“SUSHI”が開催されました。

東京の武蔵野美術大学の学生で、趣味でお寿司を握り始めて4年という上田純也さんが、

網代の海で獲れた地魚でお寿司を握りました。

「お寿司を囲み、笑顔が広がる。

人と街、そして海までが結びつくような光景を。」

というコンセプトで開催されたAJIRO MU“SUSHI”。

当日は網代の地元のお客さんを中心にたくさんの人が集まって、同時営業のバーNULLと合わせてにぎやかで楽しいAJIRO MUSUBIの夜時間でした。

「始まってしまったら最高に楽しい時間だった」と満遍の笑顔の上田さんに、イベント終了後、お話を伺いました

AJIRO MU“SUSHI”を終えて、印象に残っていることなどお聞かせください

とあるご家族の方が、テイクアウト に来られたんです。お皿を返却に来られた際に、握りたてのお寿司も久しぶりだし、なにより食の細くなってるおばあさんがご自分の分だけでなくご家族の分も食べていた、ということを、嬉しそうにお話してくださったのが、とても印象に残っています。

―AJIRO MU“SUSHI”やろうと思ったきっかけはなんだったんですか?

初めて網代に来たのは、花火大会の前日、盆踊りがあって、めちゃくちゃ暑い日でした。

町を歩いていてみて、漁港の町なのに鮮魚が買える場所が少ないこと、

それから、飲食店など人が集まれる場所が少ないんだな、という印象を持ちました。

「ここでイベントやったらどんな光景が見えるんだろう」と少し不安な気持ちがありました。

でも、その夜の盆踊りの様子や、AJIRO MUSUBIでランチをする地元の人たちの様子など、

楽しんでる人たちの姿を見たことで、集まる場所やきっかけがあればこんなに盛り上がるんだと、昼間とは真逆の印象があり驚きました。同時に、自分もお寿司を通じてそういう場所やきっかけを作りたいと改めて思ったんです。

実際にやってみて、見えた光景は想像以上のものでした。

一緒に握るということも考えていたんですが、今回は提供に割り切って準備をしました。

それでも、途中からピアノを弾く人、カメラを回す子供など、この場この空間をお客さんたちと一緒に作ってるように感じました。

―お寿司を握り始めたきっかけを教えてください

4年前に「寿司は独学で家で握れる」という内容のブログを読んで、「じゃあやってみるか」と思い立ちました。

でも、実際やってみるとめちゃくちゃおいしくない寿司が出来上がったんです。

逆にそれが、ハマるきっかけになった出来事でした。

もう1つは、お寿司は「人に振る舞う料理」だと思ったんです。

もともと料理が好きで自炊もするんですけど、お寿司を自分で作って、一人で食べるのがすごく虚しいというか寂しいというか。そう感じる料理って初めてで。そうすると、友達呼んだり、家族と食べたり、寿司を通していろんな人と一緒に作って食べるという機会が自然と生まれるようになって、それがたのしくって、気付いたら4年も続いている理由にもなっています。

ー今回のイベントでは、網代の地魚を使っていましたよね

はい。そこに一番こだわりました。初めて網代に来た時にも感じましたが、漁港の町なのに鮮魚が売っていないことに驚いて、この場所でやるなら地魚にこだわりたい、と思っていたんです。

結果的に、今回は、網代の海で獲れたわかし、真鯵、養殖のサクラマスを使わせていただきました。

天然ものの魚は、その日の朝に何が手に入るかわかります。

当初はわかしと、かますを予定していたそうですが、

金曜日の水あげでかますがなかったので、真鯵に変更しました。

事前に決めすぎず、その時獲れた魚を使う。漁港町ならではの、そういう部分も大事にしたいなと思って。

―次回のAJIRO MU“SUSHI”の開催予定は?

10月12日(土)18:00〜21:00にまたNULLと一緒に営業します。

次回は日本酒もご用意しようと思うので、よければ一緒に楽しんでください!

ーーー

現在、武蔵野美術大学の修士2年で来年卒業の上田さん。

もともとは地元新潟に帰り、家業を継ぐことも考えていたようですが、

今回のようなイベントをきっかけに、網代や下田など南熱海エリアにご縁が広がってきたそう。

「移住するのもありかなって思ってます」と語る上田さん。

今回は、多賀のお米屋さんからお米を仕入れ、丸藤さんからお魚を仕入れ、地元漁師の方々とも繋がりが増え、今後もコラボできたら良いと、これからの構想を話してくれる上田さんの目はとてもキラキラしていました。

これからがとっても楽しみです!次回もお楽しみに!

PAGE TOP